こんなのを買ってみた! その2

散歩

OMNIGOD 5Pocket Denim Jeans

いつも行くリサイクル系の古着屋さんでこんなのを見つけました。
OMNIGOD」というブランドのデニムで、ウエスト、レングスともにサイズ感バッチリの5Pocket Jeansです。

色落ち度合いも、7割程度は残っていて、前ポケットの下にヒゲ、ひざ裏に蜂の巣と呼ばれるアタリが程よく出てきていて良い感じです。アウトサイドシームのアタリについては片側についていましたが、まだまだ色残りもあり、これからは履く際に、しっかりとサイドシームを割ってから履いて、アタリをつけていきたいと思います。

メーカーは、日本のというか、世界のジーンズの聖地である岡山の児島にある「ドミンゴ」です。1974年に「内田被服工場」として、生産を始めて、1970年代の初めに「DOMINGO」を登録商標し、1986年にはそのブランド名を社名として「株式会社ドミンゴ」に変更。
「Made in Japan」にこだわって、自社で企画・生産・販売まで一貫で行っているジーンズ・メーカーさんです。

ブランドは、「OMNIGOD」「D.M.G」「SPELLBOUND」「Brocante」という4つのブランドを持っていて、今回、紹介する「OMNIGOD」は「”人が着る事”その当たり前とも思える考えに常に向き合いながら、素材や加工を駆使し、着心地や風合いの良いモノづくりを行う。人が求める本当の服、そんなモノづくりを出来ればとオムニゴッドは考えています。」(メーカー・サイトのブランド紹介より)

懐かしの「Japan as No.1」

「Made in Japan」のジーンズが、世界一のクオリティーだといわれて久しくなります。
1980年代後半から巻き起こるリーバイスを中心にしたビンテージ・デニムブームにより、一時期は、501の大戦モデルなどは、100万円を超える値を付けて市場で販売されていました。
そんなビンテージデニムも次第に枯渇していき、それに変わるようにして、ビンテージデニムを忠実に模したレプリカ・ジーンズがつくられるようになっていきました。

その新しくて、古いかたちのレプリカ・ジーンズの象徴的な素材として、セルビッチ・デニムが必要になりました。1970年代に、日本でジーンズを製造を始めたときには、近代的なプロジェクタイル織機で織った広幅のデニム地しかなくて、Levi’s501で「赤耳」と呼ばれるような伝統的なセルビッチ・デニムではなかったのです。

日本で最初のセルビッチ・デニムの開発

日本で最初に、セルビッチ・デニムの製造を試みたのが、「ビッグジョン」にデニム地を供給していたクラボウといわれ、1980年に通常は帆布づくりに使われていた豊田織機の古いシャトル織機で昔ながらの狭い幅のデニム地を作るようにと「ビッグジョン」から依頼を受けた時のことだったようです。


そして、「ビッグジョン」は、その生地を使い、米国産のタロン製のジッパー、銅リベット、和紙製のラベルを採用した「ビッグジョン・レア」というブランドで、当時の値段で、通常の三倍もする1万8000円で売り出しましたが、残念ながらほとんど売れなかったそうです。

そして、その失敗によって、他のジーンズ・メーカーもレプリカ・モデルの製造に二の足を踏んだようです。

その後、クラボウは、古典的な米国産デニム特有の手触りを再現することに注力して、「縦落ち」という独特のデニムの色落ちする”ムラ糸”を使ったセルビッチ・デニムを完成しました。

「ビッグジョン・レア」の売り上げが、芳しいこともあって、国内のジーンズ・メーカーはセルビッチ・デニム使った本格的なジーンズの生産に、二の足を踏むなかで、クラボウは、このセルビッチ・デニムを「エヴー」「シェビニオン」「シピー」といったフランスのライフスタイル・ブランドに売ったのです。

逆輸入されるビンテージ・デニム

フランスで、カステルバジャックやピエール・カルダンの仕事をしていた田垣繁晴氏は、ビンテージ・ジーンズのコレクターでもありました。その時期に、パリで、フランスのデニム・メーカーを知ることになり、1985年に帰国すると、大阪で「ステュディオ・ダ・ルチザン」という馬の代わりに、豚2匹がジーンズを引っ張るといったリーバイスのラベルをパロったブランドで29000円もするデニムを作った。これも当初はあまり売れませんでした。
また、同時期に神戸では林芳亨氏が「ドゥニーム」という1966年型の「501」をモデルにしたブランドを立ち上げました。
そして、大阪にあった古着屋「ラピーヌ」で働いていた辻田幹晴氏や山根英彦氏らが、「フルカウント」「エビス」といったブランドで呼応し、その「エビス」で働いていた双子の塩谷兄弟が「ウェアハウス」というブランドをスタートさせていきました。

1990年代に入ると、手に入りにくくなったビンテージ・ジンズの代わりに、雑誌「Boon」などに、裏原宿の高価な「Tシャツ」とともに紹介されて一気に火が着いていきました。

そして、それらの日本製レプリカ・ジーンズの一大供給地になっていたのが、岡山の児島という地域でした。
先にあげた「ドミンゴ」「ビックジョン」「ボブソン」「ベティー・スミス」などのジーンズ・メーカーは、戦前から学生服を作っていましたが、1960年代後半から70年代にかけて、日本でも、学生運動、ピッピー、フーテンなどの「カウンターカルチャー」ブームにより若者のライフスタイルが変わり、それを潮目にして、ジーンズ・メーカーへと転身していったのです。

空前のデニム・ブームから冷めて

その後、2000年代の空前の「Made in Japan」デニム・ブームは、2010年代に入り、ユニクロが世界に誇るデニム素材メーカーのカイハラのセルビッチ・デニムを使ったジーンズを作ったり、GUが¥980のジーンズを作ったりと本格的なレプリカ・ジーンズを作っていたメーカーに衝撃を与えるような出来事があり、次第にデニム・ブームは落ち着きを取り戻していきました。

こうしたなかで、ジーンズを履かない若者が増えきて、デニム離れも顕著になり、国内ジーンズ大手の倒産や業績の悪化するメーカーも多くなりました。

一方で、職人気質の「Made in Japan」のモノづくりを武器に海外に市場を求めるブランドやジーンズだけにこだわらず、ナチュラルな手作り感のあるマテリアルを中心にライフスタイルを提案したブランドで活路を開いていくブランドも出てきました。

この中古ジーンズ、OMNIGODLot.50056をつくる㈱ドミンゴは、後者のメーカーで今では4つのブランドを擁して独自の世界観を提案しています。

これからの「Made in Japan」デニムのゆくえ

しかしながら、こうした1990年代後半から2000年代前半の「レプリカ・ブーム」につくられた「Made in Japan」ジーンズたちは、1980年代に日本で起こったビンテージ・ジーンズブームのように、これから海外の中古市場で高値で取引されるようになるのでしょうか?

日本独自の付加価値を持ったデニムがまだまだ育っていくのか?そんな思いを馳せさせるジーンズを見つけたのでした。

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