カッコいいおじいさん・植草甚一氏
「僕は散歩が好きな男だ。それが何か売っている場所でないと散歩する気が起こらない。だから散歩というよりブラつくといったほうがいいわけで、何かしら買って帰らないと、その晩は仕事がはかどらない。」(植草甚一スクラップブック10集:J・J氏の男子専科:「ゼイタク感という安いゼイタク」)と自らのエッセイのなかで語ったJ・J氏こと植草甚一氏。
銀座、新宿、渋谷、青山、神保町、そしてニューヨークなどの街をブラつきながら、執筆活動を行い、1960〜70年代の若者たちに圧倒的に人気を誇った欧米文学、ジャズ、映画の評論家であり、コラムニストだった人です。
真っ白のスーツに身を包んで、中にはサイケ柄のシャツをあわせたり、アールデコな太陽柄のプリントTシャツにベルベット地のジーンズを履いたりして、こんな突飛なファションが、当然のように似合ってしまうグル(教祖)のようで、まことにカッコいいおじいさんでした。
こんな独特のファッションについて、「カジュアルに着こなさなければならない。このコツが案外むつかしい。」と自ら語っていたJJ氏。
彼の足跡でひときわ大きく残しているものに、1973年に立ち上げた、雑誌「ワンダーランド」。責任編集することになり、この幻の雑誌といわれた「ワンダーランド」が、のちにJICC出版局に譲渡されて「宝島」という名前に変更されて、いろいろな雑誌の形態を経て、現在の宝島社に発展していきました。
元祖・散歩の達人『街を歩くと必ず何か欲しくなる』
洋雑誌、ジャズのレコードにはじまって、古いカメラ、パイプ、ライター、腕時計やわけのわからないアクセサリーの数々、「街を歩くと必ず何か欲しくなる」といい、散歩のたびに買い求めていった。そして、それは決してコレクションするようなものではなく、ほとんどは目的もなく街をブラつきながら買った他人から見れば、ガラクタ同然のものばかり、J・J氏の感性に訴えかける特別なパワーを持ったものでJ・J氏は買って帰っては、夜にそれらを自分の書斎の机に並べてリラックスしていたといいます。
わかりますよね。他人から見たらガラクタでしかないようなモノなんだけど、お店の大量の品物の山の中から見つけ出したとき、その品物が「ワタシ、買って帰って!」と語りかけてくるような瞬間があるんです。何千という品物の中から偶然に(あるいは必然に)出会える瞬間、これが「一期一会」ということなんですよね。
沢木耕太郎とJ・J氏 エッセイ「バーボン・ストリート」の一編
これも偶然に古本屋で買った、作家の沢木耕太郎氏のエッセイの「バーボン・ストリート」のなかに「ぼくも散歩と古本がすき」というの素晴らしい一編があります。
ある春の日、ふらふらと渋谷を散歩
沢木氏が、ある春の日、渋谷にふらふらと散歩に出かけて、なんとなく古本屋をまわり、八冊ほどの古本を買って、喫茶店に入って、買った古本に目を通しはじめた。その中の一冊に思わず、目を引きつけられたものがあったそうです。
思わず目に止まった古本の一文とは
それが「植草甚一スクラップ・ブック」の第三十九巻にあたる「植草甚一日記」だった。
その日記の記述には、「二月二十七日(金)晴れ 二時半起床。すこし原稿を書き、三軒茶屋あたりに行こうとしたが、そのまえに遠藤によったところ、十円の週刊誌十七冊のほか、筋がとおっているので欲しい本が十冊ばかりあり五千円ばかり払った。(後略)」とあったのです。
沢木耕太郎とJ・J氏の出会い
ここにでてくる「遠藤」というのは、鎌倉、経堂のすずらん通りという商店街にある古本屋で、沢木氏も1970年よりすこしあとに、この経堂で暮らしていたので、すこしなつかしさのあるお店だったのです。
そして、この時期に街を歩いているとJ・J氏によく出くわしたそうです。
この「遠藤書店」で見かけるたびに、ひとこと声をかけてみようかなという気持ちが湧き起こったが、その都度、せっかく楽しんでいるだからと思いとどまったとのことです。J・J氏が本当に古本が好きそうだったから声がかけられなかったのです。
そして、行きつけだった東京・大森の「山王書房」の店主の死のエピソードとともにエッセイは続きます。
その後、偶然。
この散歩の二年前、経堂を歩いていると、通りすがりのマンションのロビーに、本がうず高く積み上げられいるのが目に止まった。どれも古い洋書ばかりで奇異に感じたが、何日かは通り過ぎていました。
1週間が過ぎた頃、思い切って管理人さんに、「あの本は、植草甚一さんの本ではありませんか?」と訊ねたところ、この膨大な書物について説明をしてくれたそうです。
それによると、J・J氏は、このマンションを書庫として使っていたのですが、一年前にJ・J氏が亡くなり、大部分の本は遺族が処分をされたが、引き取り手のないものがここに残されしまい、捨ててしまうのはもったいないし、洋書なので寄付をしようにも相手が見つからず、管理人も困惑していたらしいのです。
沢木氏はその残された「駄本」を手にしたときに、J・J氏がせっかく集めた本を灰にしてしまうのは、申し訳ない気持ちになり、管理人に本を引き取らせて欲しいと申し出て、千冊ちかい本を自宅の部屋に持ち帰ったものの、眼も通さずに山積みにしていたのです。
そして、渋谷で「植草甚一日記」を読んでいるうちに残された「駄本」を猛然と整理したくなり、急いで家に帰り、一冊一冊、目を通しているなかで、「J.UEKUSA」というサインと人の横顔をデザイン化したマークが入り、読んだ日付と場所の心覚えが記されていたのでした。
「人は死に本が残された。」J・J氏とも山王書房の店主ともにまっとうに話することはなかったのは、後悔するけれど、ここにこれだけの本があるということだけで充分すぎることかもしれない。と本を眺めながら思いを巡らせたそうです。
人生のなかの偶然こそ「一期一会」
前にも書いたのですが、古本にしても、中古レコードでも、古着でも、偶然に巡り合うものがあります。「なぜ?こんなものを手に入れることができたのだろう」と後で考えると不思議なものもあるのが「一期一会」なのでしょう。
人生、後悔することもあるけど「一期一会」を大切に過ごしていきたいと思うこの頃です。
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