MADE IN U.S.A Catalog 日本のライフスタイルを変えてしまったムック

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これがアメリカだ!本当に日本の文化を変えてしまった雑誌‼

見たこともない! 当時のアメリカンプロダクトがギュッと詰まっていた!

いまから45年以上前に当時の若者のライフスタイルを変えてしまった雑誌が発売されました。それがボタンフライのジーンズ「リーバイス 501」を表紙にしたムック(マガジン+ブック)が「MADE IN USA Catalog」です。

ページを開くと、ブルックス・ブラザース、Jプレス、ポール・スチュアート、リーバイス、リーといったメンズの衣料品から当時まだスニーカーという呼び方が一般的ではなく、運動靴として紹介された西のコンバース、東のケッズ(東海岸ではプロケッズが主流で西に行くごとにコンバースが多くなると解説しています)やレッドウイングを中心に紹介したワークブーツやカーボーイブーツの数々、まだアウトドア・スポーツ用品の老舗だったアバクロンビー&フィッチ、NFLのヘルメット、大学のCOOPで買えるスポーツ用品、L.Lビーン、ノース・フェース、エディー・バウアーやレイバンなどが連なり、果ては、ナイフ、楽器や工具、家具、自動車など、3,000点以上ものあらゆるアメリカ製品が掲載されていて、当時の若い読者を圧倒しました。

何もかもが刺激的だった「舶来品」

当時のアメリカはまだまだ遠い国で、しかも1ドル=360円の為替の時代。 円に換算すると海外から入ってくるモノはほとんどがそこそこな値段になりました。(余談になりますが、この当時、ソニーがアメリカであまりにも売れすぎて、その利益を還元するために始めた雑貨店がソニープラザだと言われています) その頃、高級な海外製品(特に欧米で作られたモノ)は「舶来品」(インポートモノというおしゃれなイメージではなく)と呼ばれ、上記に挙げたブランドなどは、まさに「舶来品」のオンパレード。それも、その頃の日本では入手しづらく、東京では「アメ横」、関西では神戸の「高架下」あたりに行かなければ、なかなか手に入れることができなかったのです。といっても当時の「アメ横」や「高架下」という場所は都心にありながらも、戦後にできた闇市(不法に占拠された場所で勝手に商売を始めたマーケット)の面影が色濃く残った地域で、中・高校生が1人で買い物に行くにはとても怖いハードルの高い場所でした。

それでも、少年たちは、物欲心は抑えきれず、ちょっと不良な先輩たちが教えてくれる場所を目指して、マーケットの奥深くを突き進んでいくと、薄暗いモールの一角に、コンバースのオールスターのキャンバスハイカットやローカットタイプやスムースレザー、スエード素材などのあらゆるモデルが、カラフルに(ミモザイエロー、ローズピンク、バイオレットパープルなど、いままでの日本の運動靴では見たこともない色)しかも雑然と、ショーウインドウに陳列されているお店を見つけたときには、とてつもない金鉱脈にたどり着いた気持ちでした。ある者は「Levi’s」の501を、また、ある者は「The Noth Face」のダウンベストを発見しては興奮したのです。

支持されるには理由があった!

実際に、これらの製品には、いままで触れてきた日本製にはない「こだわり」があったのです。いまでは当たり前のように感じるのですが、「Converse」のオールスターには、それまでにはなかったソールのクッション性やそのソールの周囲に使われるゴムテープには、布の芯地が入っていて耐久性を持たせていたり、黒いヒールパッチの中央には、Chuck★Taylorの文字など、見えるもの触るもののどれもが新鮮でした。また、革を使った運動靴など見たこともなく、本当に「カッコいい」の一言でした。数年後には、スムースレザーのワンスターは廃番になり「幻のワンスター」ともいわれました。

「Levis」の501は、それまで履いていたBIG JOHNのジップフロントではなく、ボタンフロントがオリジナルのデザインと知り、使われている生地もリジッド(洗いのかかっていない状態)のバリバリのもので、バックポケットについたギャランティーフラッシャー、パッチラベルのツーホースマークの下の方にあるLot.501の印字がメイドインUSAの証。そして、バリバリの状態から履いていくのですが、コレが、”シュリンク トゥ フィット”。 生地は洗うごとに体型に馴染みながら、だんだんと右側によれてくる。そして、一番のポイントが、裾を折り返すと、赤いステッチの入ったアウトシームが見えるなどいままでの日本製に感じなかったTipsが満載でした。

そして「The North Face」のダウンベストを羽織った時の着心地はいまも忘れません。リップストップ織りのナイロン素材に詰まったダウン(羽毛)が、まるで重力を感じさせない軽さ。それでいて無茶苦茶に暖かい(それまでの日本製の防寒服は、中綿が文字通り綿素材で、重たいから暖かいという感じ)、この世のものとは思えない魔法にかかったような着心地感でした。

怪しい街の奥からメジャーな場所に

そうこうしていると、この金脈(ライセンス物ではない本物のアメリカンプロダクツ)に気づき、直接、現地の小売店で仕入れて持ち込んで(いわゆるハンドキャリー)店頭に並べる小売店が、全国各地に出現しました。

それの最も成功したのが、「ミウラ&サンズ」やその後この「Made in U.S.A」とほぼ同じスタッフで平凡出版から発行された「POPEYE」とタイアップするような形で現れた「ビームス」です。原宿の中心から少し離れた明治通り沿いで「American Life Shop」と謳い、LeeやLevisのジーンズ、シューズでは、ConverseやPOPEYEの創刊号で紹介された未知なるスニーカーブランド「NIKE 」、また当時大流行した「UCLA」のカレッジものを数多く揃えて始まった。さすがは東京!「ビームス」の名前は一気に拡がり、1年も経たないうちに、渋谷の通称ファイア通りに2号店をオープンさせ、みるみる発展していくのです。時を同じくして、ミウラ&サンズも銀座に「シップス」をオープンし、80年代に入るとこれらのお店は「セレクトショップ」という呼び名でメジャー化しました。

そう考えてみると、この「MADE IN U.S.A」というムックがなければ、いまの名だたるセレクトショップは生まれておらず、日本のアパレル業界は、いまとは違ったものになっていたのかもしれません。

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