やっぱり「RALPH LAUREN」はすごい!
これは1997年の11月に発行されたイギリスのライフスタイルカルチャー雑誌「wall paper *」の表紙のすぐ裏のページに掲載されたPORALPH LAURENのホームコレクションの一連のアドバタイジングです。
ちなみに、「wall paper *」の説明をしておくと、1996年にロンドンでカナダ人ジャーナリスト、タイラー・ブリュレとオーストリア人ジャーナリスト、アレクサンダー・ジェリンジャーによって設立されました。デザイン、インテリア、アート、建築、ファッション、トラベルなどありとあらゆるライフ・カルチャーの最新情報をグローバルに集め発信している洗練されたカルチャー雑誌です。
2004年からはウェブサイトも運営していて、オンラインメディアを先駆けてユーザー数60万人を超える巨大メディアに成長している。
最先端カルチャー雑誌「wallpaper *」に載ったPOLO SPORT AD
これのなにが「史上最高なのか」といえば、「wallpaper *」誌の2P 〜8P を使って、「RALPH LAUREN」の世界観を衣服、ファニチャーやインテリアで表現しているのですが、なんといっても写真の男性モデルの履いているチノパンツに衝撃を受けました。
使い込んだアンティーク・ベルトが通る”ベルトループ”や”フロントポケット”の使い込んだ擦れ具合や”サイドシーム”もほつれてしまって裏地が見えてしまっている。ここまでボロボロのチノパンを堂々と履かせてしまうブランドは当時、「RALPH LAUREN」以外にはなかったと思います。
裏を返せば、これだけボロボロになるまで愛着を持って履ける「POLO SPORT」のチノパンは素晴らしいでしょうというメッセージが一つあります。
相反するメッセージを発信するAD
8ページある最後の見開きのページが上の写真です。カウチンニット柄のブランケットのようなモノを纏ったカップルの前に、ご丁寧にも男性モデルは履いていたボロボロのチノパンがベッドサイドに置かれています。普通は、映画的なシチュエーションでみるならば、女性の服や下着が絵になるように思いますが、あえてボロボロ・チノをここに置くことにメッセージを感じました。
ここに「服は、生活のなかのただの道具で、主役ではないですよ」
そして、大自然の別荘で暖かそうなファニチャーに包まれて過ごすのに、新品のパリパリの服よりも使いこなした(使い倒した?!)服のほうがマッチする。服も道具でしかないですよ!というふうに感じました。ファッションブランドのADでありながら、服が主役ではない、でもカッコイイ!
RALPH LAURENの真骨頂を感じる自分史上最高のファッッションADです。
「リアル・クローズ」旋風でモードは崩壊?
ところで、1997年という年は、「リアル・クローズ」というトレンドが吹き荒れた頃です。
デザイナーでいえば、ジル・サンダー、ラフ・シモンズ、クリストフ・ルメールなどの細身でシンプルなデザインが席巻しました。
また、日本ではセレクト・ショップが台頭して、それらの若手デザイナーの多くを世に知らしめる流れが確立されてきました。
それまでのボリューム感のあるレース使いや刺繍などを施したデコラティブ(装飾的)なデザインは、売り場の隅に追いやられて、細身でシンプルなソフィスティケート(洗練)されたデザインがもてはやされました。
それはファッションの舞台が、完全にハレ(非日常的)からケ(日常的)の移った時代でもありました。
現在のパリやミラノのコレクションを見ても、日常的なストリートファッションからインスパイアされ、デザイナーや顧客の若返りをターゲットにしているところばかりで、優美なドレスやスーツスタイルを打ち出すブランドがどんどん少なくなっています。そして、ドレスやスーツを打ち出したところで、顧客が見向きもしない状況になってしまったということ。
モード崩壊は、すでに80年代後半には起こっていました。
モードが崩壊した3つの理由
1.ドレスアップする必要がなくなった
2.ファッッションをめぐる価値観が変化した
3.デザイナーが危険を冒そうとしなくなった
この3つの理由は、1999年にアメリカで出版された「THE END OF FASHION」テリー・エイギンス著(日本語版は、2000年に「ファッションデザイナー」文春文庫から出版)で書かれていたものです。
ひとつめの「ドレスアップする必要がなくなった」
これは当時ハイテク産業と呼ばれたコンピュータ産業の台頭、その産業がカリフォルニアなどの西海岸を中心としていたこともあり、その従事者の多くが、Tシャツやポロシャツにジーンズ、チノパンでスニーカーで出社していたことが広まり、一般の企業も「カジュアル・フライデー」などのでカジュアル・スタイルを認めるようになった。
ヨーロッパのデザイナーズブランドをインポートしていたニューヨークの高級セレクトショップ「シャリバリ」が「裂けたジーンズ、ポケット付きのTシャツ、ベーシックへの回帰。こういう風潮が下火になるまで冬眠します。シャリバリ」という広告を出して、7年後に閉店に追い込まれました。
ふたつめの「ファッッションをめぐる価値観が変化した」
日本でも同じような現象がおこったのですが、かつてはたいていの人は”ファッッション”をたてまつっていました。シアーズやメイシーズで買うような普段着とデザイナーズブランドや百貨店で買うホンモノの”ファッッション”との間には明確な区別がありましたが、その後、GAP、バナナ・リパブリック、J・Crewといった高感度で手頃な価格のブランドが売り出されるようになり、その結果、デザイナーズブランドのラベルは暴利のしるしとさえ考えられるようになりました。
アメリカのディスカウントストアのターゲットの「安く買うほどファッショナブル」というキャッチコピーが人々の心を捉えました。
そして、3つめの「デザイナーが危険を冒そうとしなくなった」
アメリカを代表するRALPH LAUREN、TOMMY HILFIGERなどの会社は、株式を公開した企業であり、安定的で予測可能な成長を維持する義務があります。つまり、企業が大きくなるほど、ファッッションの気まぐれにつきあって危険を冒す余裕はなくなります。それまでのファッション産業はある程度のリスクと遊びがつきものだったが、投資家にはそんな理屈が通用しないのです。
そのために今日のデザイナーの創造性は、実際のデザイよりもマーケティング面で発揮されるようになっています。今日のマーケティングは、複雑で、細部に凝ると同時に斬新さが求められます。
豪華なドレスをデザインするよりも、はるかに高度な計画性を要求されて、広告に巨額の資金が投入されます。それは、ある意味ではファッションの原点に戻ったといえます。ファッションはイメージを売るということ、イメージがファッションのカタチであるならば、マーケティングはその機能であるといわれます。しかしながら、デザインあるいはデザイナーのファッションの時代は80年代に終わりを迎えたと言えるでしょう。
「RALPH LAUREN」が残したモノ
RALPH LAURENの名はファッションの歴史に残るだろう。
それは、パターンを引けないデザイナーがブランドコンセプトを体現するためのマスコミへの露出やADによるイメージの絨毯爆撃作戦とともに、”ライフスタイル・マーチャンダイジング”というコンセプトを百貨店の初めて導入したということによります。
マホガニーの羽目板や真鍮の金具で装飾された売り場は、まるで伝統あるクラブハウスのようなイメージに仕上げられている。そんな雰囲気のなかで、素材のよいベーシックなネクタイ、ジャケット、トラウザー、スーツ、ポロシャツやその他スポーツウェアなどが並べられて、その脇にはアンティークウォッチ、旅行鞄、ステッキなどの小道具が添えられて”ポロシャツ1枚選ぶだけのつもりで入った客”は、心身ともに、”RALPH LAUREN”のライフスタイルに包まれる。
それぞれのマーケティングが重なり合いイメージを作り出して、なんの変哲もないベーシックなポロシャツが、左胸にポニーマークが刺繍された瞬間にライフスタイルの輝きを放つしくみ。
製品原価は価格の1/10ほどのでしょうが、その利益の半分以上をマーケティングに費やす。それこそが、永遠のファッション・システムといえるのでしょう。
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